年表

  年齢 年号 西暦 出来事
幸福なる
幼年時代
1才 天明7 1787 7月23日(陽暦9月4日)誕生
  4 寛政2 1790 8月28日弟 友吉(のち三郎左衛門)生まれる
一家苦難時代 5 3 1791 8月5日大暴風雨 酒匂川が決壊して、家、田大半が流失する
  10 8 1796 大久保忠真藩侯となる
  11 9 1797 本家 伊右衛門式の当主儀兵衛死んで絶家となる
  12 10 1798 父 利右衛門病にかかる
医師 村田道仙の好意
  13 11 1799 松苗200本を買い酒匂川堤に備える
12月末日弟 富次郎生まれる
  14 12 1800 9月26日父 死亡
  15 享和元 1801 貧困いよいよ窮まり迎歳の準備なし
伯父の
家寄食時代
16 2 1802 母 よし死亡
一家離散
先生伯父万兵衛方に寄食する
  17 3 1803 菜種を収穫、捨苗を植えて籾一俵を収穫、積小為大の理を発見
  18 文化元 1804 万兵衛方を辞し名主 岡部伊助方に出入する
観音経の話
  19 2 1805 岡部方を辞し、二宮七左衛門方に寄食
余耕の米20俵と伝える
自主的奉公
一家再興時代
20 3 1806 自家に帰る
質地9畝10歩を3両で買い戻す
  21 4 1807 藩士 岩瀬佐兵衛(千石)に雇われたと伝える
弟 富次郎死亡
  22 5 1808 母の実家の困窮を自己丹誠の田若干で助成する
服部家の若党となり、嫡男清兵衛の修学に侍す
  23 6 1809 本家再興基金設定
田2反6畝11歩買い戻す
  24 7 1810 田地1町4反5畝25歩となる
江戸・伊勢・金毘羅旅行
隣人救助時代 26 9 1812  
  29 12 1815 2月服部家から帰る
12月同家
家政取り直し趣法帳を起草する
  31 14 1817 2月28日 中島きのと結婚
田地3町8反余歩となる
  32 文政元 1818 3月服部家の仕法を引き受ける
11月忠真候から表彰される
  33 2 1819 1月長男 徳太郎生まれ、2月死亡
3月妻 きのと離別する
  34 3 1820 4月2日 岡田波子と結婚する
斗枡の改良
藩士の五常講創設
桜町領仕法時代
(苦心時代)
35 4 1821 桜町調査復命
嫡男 弥太郎誕生
服部家第一回仕法結了
  36 5 1822 3月桜町復興受命(名主役格)
9月着任
11月いったん帰郷
  37 6 1823 5月一家をあげて桜町に移転
仕法の実業開始
  38 7 1824 長女 文子誕生
  39 8 1825 関東地区凶作
  40 9 1826 組頭格、桜町主席となる
横山周平着任
凶歳対策
  41 10 1827 横山帰府
関庄助・平右衛門ら騒ぐ
12月豊田正作赴任
(成就時代) 42 11 1828 横田村の地論等粉糾
反対者藩侯に訴える
青木村民仕法出願
  43 12 1829 出府
成田山に断食祈誓
横山再任
以後仕法円満に進行する
  45 天保2 1831 宇津家第一期仕法結了
1月忠真候に報告、「以徳報徳」の賞詞あり
青木村に救急仕法施す
  46 3 1832 このころから悟道書類の著作多くなる
  47 4 1833 青木村桜川の堰工事、同村仕法
この年凶作
横山周平没す
  48 5 1834 徒士格に進む
金毛録等著作中村玄順をさとす
報徳訓をつくる
  49 6 1835 細川領の仕法実施
門井村の仕法実施
仕法普及時代 50 7 1836 諸国大凶作
烏山の救急仕法
  51 8 1837 小田原の飢民救済
忠真候卒去
桜町仕法結了引継ぎ
  52 9 1838 小田原領・下館領の仕法開始
加藤宗兵衛・川崎屋の指導
  53 10 1839 9月 富田高慶入門
小田原領仕法盛んに行われる
  54 11 1840 藤曲村・御殿場村・片岡村・伊豆韮山多田家等の仕法
  55 12 1841 相馬藩 一条七郎右衛門をつかわす
宮原屋あて大学料理の書簡
  56 13 1842 10月幕府に登用
利根川分水路工事検分
草野正辰に面会
幕府の
仕法試練時代
57 14 1843 大生郷村検分
真岡代官所手附となる
下館信友講・小田原仕法組合創立
  58 弘化元 1844 日光仕法雛形作成受命
相馬藩の分度確立
  59 2 1845 斎藤高行、11月 福住正兄入門
相馬藩成田・坪田発業
  60 3 1846 仕法雛形完成
小田原領仕法廃止
下館領灰塚外二村発業
  61 4 1847 遠州下石田報徳社創立
山内代官の配下となり神宮寺仮寓
  62 嘉永元 1848 桑野川の開田
東郷陣屋に転居
遠州牛岡組報徳社創立
  63 2 1849 棹ヶ島の仕法開始
相馬領高瀬村復旧する
  64 3 1850 花田村等14箇村に仕法実施
福住正兄門を辞す
  66 5 1852 許されて墓参入湯、湯本に桜苗3千本植える
片岡村克譲社創立
弥太郎・文子結婚
下館領分度確立
日光
仕法実施時代
67 6 1853 2月日光仕法受命
4月発病
6月現地検分
7月文子死亡
  68 安政元 1854 轟村発業
函館奉行から開拓検分依頼
8月 岡田淡山入門
  69 2 1855 今市仕法役所に移転
11月29日 孫尊親誕生
御普請役に進められる
  70 3 1856 10月20日没す

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