報徳訓

当神社の御祭神である二宮尊徳翁は日本と日本の人々の心の中に報徳の道という偉大なる精神を残されました。この尊徳翁の精神は永遠に変わることのない真理を貫き、時代における人づくり、国づくりの土台となる精神であります。その精神(報徳の道)をわかりやすく表現しているのが報徳訓であります。

父母の根元は天地の令命にあり

尊徳翁は万物の根元を神として敬っておられました。そして、その父母として伊邪那岐、伊邪那美の大神を敬っておられました。尊徳翁は幼い時に亡くなられた御両親を思うにつけても、我が身の貴さを深く考えました。天地の令命、すなわち永遠の真理を悟られた言葉といえるでしょう。

身体の根元は父母の生育にあり

過去・現在・未来において貴重な身体は、いうまでもなく父母より授かったものであります。言い換えれば父母の分身であります。この父母 が我が身に施した徳は、限りない愛情とたゆまぬ養育の努力以外の何ものでもありません。しかし、父母の生育も、その父母の根元である天地の恵なくしては現在はありえません。

子孫の相続は夫婦の丹精にあり

各個人の心を受け継ぐ、家を継ぐ、ひいては国、社会、人類の歴史を継ぐべき使命の若者達の進歩発展は、一口に一円融合の精神をもってなされることであります。現在繁栄している全てのものに共通していえることは、良き後継者を残すためには、それ相当の必然性を必要とするということです。

父母の富貴は祖先の勤功にあり

伝統には有形無形があり、日本伝統の遺物遺産とは現代日本人の環境であり性質であります。また、伝統的精神とは現代日本人の心ではなく、現在に至るまでの日本人の心であります。先人が努力した有形無形の力は、日本人 の伝統としていきております。

吾身の富貴は父母の積善にあり

父母の子孫にたいする精神や恩もまた伝統であります。しかし、あまりに身近であるが為に気づかず、また、あまりに大きなものであるがためにとらえにくいものです。成長した現在の自分を振り返ったとき、全てが父母の積善勤功によるものだと気づくでしょう。

子孫の富貴は自己の勤労にあり

祖先の精神文化を、より正確にさらに前進するよう近代化し、それを子孫に伝えていくことは、一中継者として自己の義務であり、子孫繁栄の道を切り開くものでもあります。

身命の長養は衣食住の三にあり

人間が生きてゆく為に必要なものは、衣食住の三つであります。これらを、自分の生活に合わせて節度をわきまえることは、天命の寿命を全うする最善の道であります。

衣食住の三は田畑山林にあり

田畑山林があれば必ず衣食住には困らないということではなく、田畑山林という自然と神の恩恵あってこそであるということです。また、自然破壊は天災につながることの証明でもあります。

田畑山林は人民の勤耕にあり

自然の持つ無限の徳は、人が手を入れて初めてその価値がでます。土地の価値をいかにして高めるか、また、産業においてもどのようにして発展させるかは、人々の努力と勤耕にあるのです。

今年の衣食は昨年の産業にあり

今年の衣食が整うためには、自然の道にのっとった産業界の昨年の苦労と努力があってこそです。このことは産業界だけでなく人生のあらゆる行為全てに通じるものです。

来年の衣食は今年の艱難にあり

昨年の努力と丹精によって今日という現在があるのですから、今日という日々は未来のためにいっそう努力しなければなりません。日々努力し継続することは大変なことでありますが、しかし、その辛さに打ち勝ってこそ期待すべき未来があるのです。

年々歳々報徳を忘るべからず

この最後の言葉は、それぞれの項の最後につくべき言葉であります。物事をこのような精神で考えることこそ、明るい社会の建設に一番大切なことであり、この精神の考え方や生活態度を、現代日本人の生活の基本として忘れてはならないのです。

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